2011年7月18日月曜日

祇園祭と『記憶の継承』

どうも。管理人です。

昨日、高校時代の友人3人で祇園祭へいってきました。
「動く美術館」とはよく言ったもの。


すばらしい装飾品の数々と、それを見つめる大量の人、人、人。
気温は35度を超え、よく炎天下で長時間立ってるなーってほど。
すごーいの一言です。

写真を撮ってる人もたーくさんいますし、とるもの、人もたくさんなので、まったくあきません。

祇園祭が始まったのは貞観11年。
ちょうど、東北で「貞観の大津波」があった年です。

津波を含め、天変地異が生じたため、神の怒りや怨霊をおさめるために神泉苑で行われたのが発祥とされています。

今年は第一回目を回顧すべき年ですよね。
「東北の太平洋側にある縄文時代の遺跡はほとんどが津波の被害にあわないために台地上に作られている」という話も聞きますし、「祇園祭が現在まで続けられる」というのにもそれなりの『記憶の継承』があるのだな、と思います。先人たちはわかっていたんですね。


なんとなく、自分が歴史を学んでいることに意味を見出すことができたような気がします。
広島の『継承』とはなんだろう?自分の継承とはなんだろう?と考えてみることが、今の生活になんらかの「+」要因をあたえることになるのかもしれません。

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